77回目の終戦記念日を迎えました。
多くのメディアは、第二次世界大戦の惨禍を振り返り、後世に伝えていくことの重要性を伝えています。
そんな中にあって、今また「戦争」に向けての準備が着々とすすんでいることへの疑問についてはあまり報じられていないのがとても残念であり、大きな危惧を覚えます。
「防衛費2%への倍増」「核兵器禁止条約への非批准」「非核三原則の見直し論」「平和憲法の改憲論」「特定秘密保護法」etc.etc.
私には、確実に、そしてしたたかに「防衛のために戦争ができる国」に向かっているとしか思えません。
伊丹万作監督の言葉を思い出します。
「多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。
みながみな口を揃えてだまされていたという。(略)
自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。(略)
「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。
いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである」
伊丹万作「戦争責任者の問題」
1946年8月『映画春秋』より